開発日記 マザーラック開発物語

序章 (第一回)

2000年7月 盛夏真最中のT都市にて、私は約1億2千万円の受注案件(設備工事)確定に向け、奔走していました。

受注先の手足となり、問題解決や役所関係、設計の裏付けなどのバックアップに、約1~2週間単位での 出張滞在ペースで、実働約3~4ヶ月を費やし、やっとのこと冷汗受注に漕ぎ着けました。

当時は何から何まで、お世話させて頂いて受注する設備工事は、業界では常職化されおり、現在の様な見積り提出後受注(金額本位)という形態ではありませんでした。

受注までの間、人・物・金に関して色々な難門があり、中でも特に人間関係には手を焼きました。

利害や好き嫌い、嫉みなどの捌きには苦心しましたが、反面、核心に近づいてくるとゲーム的な面白さを感じ、喜びや不安、悔しさといった感情が交互に押し寄せ、何とも言えない時期でもありました。

当社の本業であるコンテナの温度コントロール機器販売の売上げは、この時期年率ベースで約15%程度悪く、売上確保が最大の目的でした。

色々な経過を経て受注となり、工事開始前にコストチェックをしてびっくり! 粗利を約X%しか確保 出来ていませんでした。発注する機器メーカーに金額交渉をしても、応じてもらえず、強気の姿勢を崩しません。何とか経費を落として施工するしか方法がなく、頭を抱えながらの施工開始となりました。

12月からの冬季の設備工事現場は非常に寒く、管理、指導、連絡など様々な難門をこなし、漸く2月20日 工事終了に漕ぎ着ける事ができました。初期営業開始より約8ヶ月が経過し、工事終了後コストチェックをした所、結果はプラスマイナスゼロ、実質は赤字受注でありました。

当時の温度コントロールの設備工事は、一案件の受注獲得に何社も競争し、出張ベースであった当社のコストは明らかに不利な条件でした。その上、当社の発注メーカー側も価格を下げない強気な姿勢で、コストを下げる事も思うように出来ませんでした。

しかし、一つだけ良い事もありました。決算上の売上確保です。もちろん利益第一ですが、売上確保も当時は大事な要素でした。私が自分の非力さを痛感し、客観的に分析(相談含め)した結果が“開発”でした。

他社と同じ商品、技術、ノウハウでは、いつまでもコスト競争の舞台は付きまとい、将来も見えて来ません。松下幸之助氏や、京セラの稲森氏などの経営指導の書籍やセミナーで勉強しますと、安定や信用のある会社は、オンリーワンの商品を持ち、小さな池からダムまでの規模でしっかり人・物・金の地盤を築き、安定した収入を持つことであり、安定収入=会社運営の安定に繋がり、若い人達が夢、希望、目標を持ち、それらを達成できる仕組み作りに貢献し、私を含め、社員全員の安定した人生に繋がると確心し、開発への道へ大きく舵を切りスタートとなりました。



開発責任者 大牟田〔文〕