開発日記 第2話

最初の開発

2001年3月、最初の開発依頼が舞い込みました。

依頼元の紹介窓口は約20年前より取引のあるY社の取締役からでした。

内容は大型ステンレスタンクの輸送用冷却装置「キャナリングシステム」で、出来るのかな?と多少不安も含め、決断する迄に約4ヶ月前後を要しました。

専門家であるステンレスタンクのメーカー数社と面談したのですが、「できる訳が無い」「無謀である」他色々な保守的談話を頂き、開発依頼をお断りしようかと考えた時もありました。

しかし、私には20歳代の若い時代に金属の塊から色々な部品等の製造や、40歳代からの冷凍機のメンテナンス及び改良の経験があり、なぜ出来ないの?との疑問にたどり着きました。

製品開発の判断は、経験+知識+プロ仲間の集合 が不可欠で、1人での完遂は不可能であり絶対避けないといけません。各プロ(友人含め)と面談を積み重ね挑もうとする山の全容が見えてくると、「必ず出来る、解決出来る」との確信に至りました。

まず概要工程を作成、次にコストと各業務の概要をまとめ、問題点をピックアップして全体まとめの後、お客様との打合せがスタートしました。

しかし何故か開発リスクに対する具体的な書面は一切出てきません。口頭での打合せが進み、懇意にして頂いている紹介窓口の取締役の面子もあり「まあ、進めるか」で開始しました。

開発を進めて行くと、初期の各工程の詰めの甘さが次から 次へと壁、難所に遭遇し、経験、技術、知識の各プロの指導無くして進めなくなりました。

最大の難所は誰も経験していない(開発品なので当たり前なのですが)個所の理解、設計、製造、各分野の「エイヤー!」の実施でありましたが、各工学教授様の理論等を学び素直に真っ直ぐ向き合うと以外と解決する事ができました。

また不思議な事に、ひとつの壁にぶつかると、それを解決するためのヒントを与えてくれる人に出会いました。壁が7つあったなら、7人以上の助言、指導者に巡り合ったという訳です。私もメモとペンを24時間離さないで何時でも持っていました。

開発着手より約2年要しましたが非常に短く面白い事ばかりに感じて、開発(物造り)を楽しんでいる私がいました。「安くて良い商品であれば必ず売れるはずだ」等の甘いビジネススタイルでいた事を鮮明に覚えています。

結果として、6年間トラブル、クレーム等は1回も無く技術実績としてほぼ確立できたと思われますが、販売実績3台という厳しい内容となりました。

当社の既存製品は価格競争が激しくなり、利益率が低下傾向になりつつありましたので、開発製品を市場に出し安定収入を確保したいという思いは日に日に募る重いでした。

その為には製造コストダウンの為に新たな試作機製造や販路開拓等、二次開発が必須であるという厳しい現実が待ち受けていました。

開発に対する認識含め、オンリーワンの道は生半可では得られない事を痛感していました。

そうこう進めている内、新たな開発依頼が来てタンク冷却装置の二次開発を中途半端のまま、コンテナ用自動車輸送架台の開発へと舵を切り替えて行きました。

コンテナ用自動車輸送架台(後日の名称「マザーラック」)の開発依頼は友人の社長より持ち込まれました。大手のN社が長年開発している装置があり、今迄3社(3回)とパートナーを組んだが進んでおらず、当社の約25年間のコンテナの経験と開発を手掛けている事を理解した上で熱心に薦めて来られました。

?開発、?資金、?できるの・・・

さあ、マザーラックの夢、希望、現実は?



開発責任者 大牟田〔文〕