開発日記 マザーラック開発物語

開発日記(12)

C社より支給された約100㎡のアパート2室を引き上げて「日本へ帰ろうかな?」と絶望感の中、3~4日が過ぎて段々と奥底より”ファイティングスピリット”がまた蘇ってきた。

そこから、冷静になりつつミーティングを繰り返し、「初期に戻ってC社のコピーラックを再検証しよう!」となりました。
私は、気持ちの中では”50%のコストに抑えられるラックなんて今更できるわけがないよ”と思いつつ、コピー品が見られる管口港へ花城部長、郭課長と向かった。
検証しながら現場で虚脱感がまた襲ってきて、遠い景色をボーッと見ていました。

検証を終えて1週間ほどたったある日、花城部長がとんでもない改良設計案を出してきました。
本当に腰が抜けるほどビックリ! (アシスタントの郭さんもビックリ!!)
”嘘だろう!出来るわけがない!”の周囲の雰囲気の中、「この野郎!こんなん出来るんだったら最初から出せよ!」と言ったものの、出来るわけがない事は私が一番よく知っていました。

この出来事は開発リーダーの資質を問われ、叩きのめされた事として今でもよく覚えています。

製品開発するにあたって、開発着手前に目的・機能・コスト他具体的に開発フローにまとめていき、取組の項目別に可・不可の判断をします。
数値等のフロー・設計期間・費用、販価の粗利を算出し、最後に開始する・しないの判断となるが不確定要素も色々あり、机上の組立だけでは不明瞭なの部分も多くあります。

今回、我々の構想で製品一旦完成後のコスト50%のC社要求はリーダーとして”青天の霹靂”でした。
開始前に機能、コスト等つめて着手していたら2年間の無駄は省けたかもしれません。これが開発かと実感しました。

既存品のコスト50%で製造のショック事件からの約2週間、花城の改良設計提案に驚き、「コスト50%前後になるかも?」「終わった方が良いかも?」
と頭の中で色々な案が巡りましたが、本来の負けん気の強さがここで出てくるのです。

開発再開を決定し、改良設計の図面を具体化し、コストの目途が立って製造工場へ訪問。
しかし、打合せすると「またするの?」「本当にビジネスになるの?」などの反応。
開発依頼先のC社でも同じ様な目と反応がありましたが、時間をかけて説明を続けていくうちに、少しづつ理解してくれ試作開始へと進んでいきました。

改良品の試作が完成しコストの目途もたち、そこから改良を3~4回繰り返し、「マザーラック30型」が完成。
再開開始より約10ヵ月が経過していました。

その後、全中国の主要港迄の実用化テストを実施。気が付けば、開始から3年6ヵ月を要していました。
「さぁー!我々が設計した製品がやっと世に出せる!!」

依頼主(発注元)のC社とパテントのライセンス交渉が始まり、製造・工場・価格等時間を要しながら進んでいくなかで、中国のビジネスルールの洗礼が待ち受けていました。
とても日本人では消化できない中国のビジネスカルチャー。
私自身、日本人の感覚を捨てて取組み、やっと合計3000台の製造着手に持ち込みました。
そこからがまた大変! 部品製造・検査など製造工場の管理、ビジネスルール、マナー、信頼、誠意、約束、契約、法律など日本と比較したらお話になりません。(細かくは出しませんが・・・)

しかし、中国内にも厳しい現実があります。13~14億人の競争、油断も隙もない過当競争。

安心していたら突然他社へ仕事がゴッソリ移行、夜の会議のなせる技・・(日本人の感覚ではついていけない…)コピーだろうが何だろうが自分たちが生きていくために? モラル・ルールって? それより自分たちが食べていくことが先決なんだ!

この中国できれい事ならべて会社を続けるなんて到底不可能。

あ~大変!大変! 我々のチーム内の結束を強化しながら製品製造は進んでいきました。