開発日記 最終話

マザーラック量産開始

マザーラックは遂に中国の船会社CS社から3000台受注決定。
とても嬉しかった。

夜 社内外チーム全員でお祝いパーティーを開き美味しい料理を食べたり、美味しいビールを飲んだり、今まで中国でマザーラック開発の思い出・苦労話などを夜遅くまで話しました。
食事が終り 家に帰る途中で、心はまだまだ興奮状態ですが
「これで終わりじゃない、これから本当の戦争はじまる・・・・・」
「中国でお客様に品質が良いマザーラックを製造提供可能?」他 色々心配事がたくさん出てきました。

早速私たちの開発チームは大連駐在事務所に戻って、マザーラックの製造準備を開始。

製造については 第1段階、第2段階に分け
●第1段階: 試作機10セット製造
●第2段階: 量産製造             と決まりました。

第1段階 :試作機10セット製造
中国人口約13億、102都市、どこの都市で製造?品質良くて安くて良い工場どこだー?
HPや知人の紹介で 大連8社、上海3社、広州3社、蘇州2社を選び、全ての工場を訪問しました。
飛行機に乗っている間は鳥ちゃんみたいな感じで、よく空ばかり見てました。。。。

やっと私の故郷大連で「大連C社」、約1,000人規模の大手製造メーカー(特殊コンテナ、架台、日本の商品を製造した経験もある工場)で試作機製造を決めました。 中国内製造工場のトップクラスの工場です。

が、その時...
「マザーラックを全部1社で製造したら... コピー? 情報漏れ? どうするの?」
いろいろな不安や疑問が出てきました。
早速、大連駐在チームは会議を開き、特許事務所や弁護士に相談した結果、
コピー防止対策で主要な部品・精密の部品は日本、部品工場は広州、寧波、金州等で決定し製造工場、部品工場へ守秘義務契約~発注書までの手続きの後、試作機10セット製造を始めました。

材料、加工、溶接、組立、塗装、全体仕上げ、動作の検査、毎日多忙でした。
結果、上級クラスの製造工場で約1.5ヶ月かかり、試作機10セット完成しました。

マザーラックの最終検査は大きな装置ですから、全て屋外で行います。
その時期大連は夏で暑く30度~35℃、我々大連チームは全員顔真っ黒、社長の腕も赤くなり、 部長も毎日汗をかき、結果チーム全員5キロ前後痩せました。
私も持病が有り、夏になったら足の血管が悪く座っても立っても痛い状態です。誰一人休まず1台づつ厳しい検査を続けました。
動作検査終了後、破壊テスト・走行テストを行いやっと試作が完成しました!

完成したマザーラックを見ながら私は
我々の商品、マザーラックの仕上げの色は船会社のカラーで全て並べ遠くから見ると... 我々の子供大きくなってかっこいいですねっと つい涙~

マザーラック量産型式

試作機完成後、お客様は本社上海から10名、大連から5名、広州から3名の計18名の方が大連へ確認に来られました。
さらに、検査結果を見て「さすが日本の技術、素晴らしい」と評価頂き、すごく緊張した心はホットし試作機成功だ!と叫びました。

●第2段階: 量産製造
さー量産始めましょう!
しかし開発のリーダーでも有る社長は本社の管理で、部長も本社で商品の設計が必要で日本と中国へいったり来たり。
管理スタッフ不足で....せっかくここまで来たのに...どうしよう....
私は問題解決のために、社内や社外打合せをし、いくつかの量産管理専門検査会社を見つけその中から韓国の検査会社、
中国のコンテナ検査会社の2社候補を選び面接した結果、最終的には韓国の検査会社が決まりました。
検査会社から派遣された上海出身の徐さんと一緒に検査業務を始めました。
さすが検査のプロ! 短期間でマザーラックの機能を理解し、検査のポイントも良く、工場のスタッフの動かすのが上手でした。
ちょっと一息、今後の進め方がひと安心。

社長・部長は日本本社の業務多く、私が中国の全体管理リーダーになり責任が重く、私は女性なので(その時33歳で若くて?)最初製造工場のスタッフから ?出来るのか〜 の目で見られています。 私は気にしないよう、毎日工場の現場行き検査を補助しながら毎日が過ぎていき すると...だんだん信用が出来たのか スタッフの方から声を掛けてくれる様になりました。
しばらくすると「鬼が来たぞ」の声も有りましたが、心の中で「しょうがない、厳しく検査しないと良い商品が完成できないから、何に言われても良い」と自分に言い聞かせ、気にしないようにしていき しかし私も優しい人に戻りたいな〜

ある時、お客様より検査スタッフが工場に来て、完成検査が始まり元々連携が悪い 日本、韓国、中国、検査メンバーは大混乱 ?検査はだれの指示を聞いたら良いの ?どこに保管してるの ?順番は ?責任者は誰 私は準備不足でパニック イライラしながら周りに当たり散らしました
お客様の検査員が帰ってから検査員全員集めて ブツブツイライラの果てに一人一人の意見を聞き彼たちの考えも少し理解できました 私も少し落ち着き 役割分担、検査基準等を決めた結果、1つチームにやっとなり工場側責任者もほっと安心して順調に製造できる様になり検査再開です。

完成検査が終わり いよいよマザーラックがお客様より手配したコンテナに積みこんで どんどん出荷されていきます。
「 良かった。さー日本へ帰れますよ・・・・焼肉を食べたい。」

課長 郭 [文]

あとがき


開発開始より15年 費用も4憶円以上要して収入は約10%の4000万円 この開発に私の人生をかけた思いでしたが、開発当初の目論見は85%みごとに外れ理由は色々ありますが最大のミスは業種別の本質を見通す事が出来ていません 情熱や感情ではなく冷静な具体論各業種別の特徴既存品と比較上での決定的なメリット等 初期計画にはありませんでした
もう一つ 世の中の流れに乗る運 仕事を進める上で60%以上は必要 いくら商品が良くても時代の波に乗る商品でなければ日の目を見ることはできません 私の運不足も要因の1つでした この15年間の日数と費用かけた開発業務は一旦終了  しかしながら、今後電気自動車等の普及により世の流れは急速に変化をきたしているので、運(世の流れ)というのは何処でチャンスが出てくるかもわかりません 私自身66回目の冬を迎える10月でした

ところがどっこい そうは簡単にギブアップありません 日本国内での本業である冷凍・冷蔵・加温・コンテナの新製品作り 市場の要求に答える商品作り始まると マザーラックで培った中国製造工場のネットワーク・製造工場のシステム・部品製造・構造知識・等 知らず知らずに湧き出てきて
?新商品・既存商品の改良 瞬く間に進んでいき ?なぜこんなに早く可能になったのですか と ふと自分に問いかけたら あーマザーラック開発の15年間鍛えてもらったんだな と解かり少しは仕事上手になったのかな   だけどごめんなさい 約15年まわりにご迷惑をかけていたんだなというのも理解でき 今後は市場価値のある商品作りに励み ご迷惑をかけた皆様にご納得いただける結果を必ず出す様に取り組みます マザーラックの開発日記の終了といたします



開発日記第二弾 「トップスライディングコンテナ」 2022年10月より開始

開発日記第三弾  社内打ち合わせ中 


開発責任者 大牟田〔文〕