開発日記 第3話 

初号機開発

03年6月某日 私は一人の人物と打合せをしていた。

N社が試作製造した、コンテナでの自動車輸送架台があり、それを改造して欲しい。自動車を昇降(傾斜)させる時間を現状の半分以下にしたいとのことであった。

私は準備していたイメージ図をその人物に見せた。

その人物は一度うなずき言った「よし!明日横浜に行く、現物を見る、一緒に来い!!」・・・

私は驚いた、そして思った「始めて会い10分も経っていないこの展開の早さは何だ?」

「この人物は何者だ?」

そう、この人物こそこれからの長い道のりを共にする事となる、社長の大牟田その人であり、これが私と大牟田との始めての出会いであった。

私は早速設計に取り掛かった。昇降時間を短縮する為の構造を練っていた。

ところがある日話しが急転。現状試作機の改造ではなく、新たに試作機として1台製造する事となった。今ある架台の構造では要求する性能が満足できないとの判断からであった。

私は悩んだ。今までに自動車の輸送架台に関係する設計をした事が無い。

自動車をどの様に固定すれば良いのか? どの様な力が掛かるのか? 全く分からなかった。

この事を私は大牟田に話した。大牟田は言った「分かった!試作機をすぐに神戸に持ってくる。気が済むまで見ろ!」・・・またしても展開が速い。

この頃には私は少し馴れていた。

私は図面を引き、そして大牟田との打合せ。図面の修正。この作業を何度も繰り返した。

ある時問題が出た。架台の上下方向の動きをどの様にしてコンテナに固定するかだ。

コンテナはたわみによる変形が必ず発生する。それに追従できる固定方法が必要であった。

そのことについて私と大牟田は打合せをした。大牟田は急にコンテナの前に立ち、両腕を上げ、Ⅴ字に構え、腕を交互に上下に動かした。私は首をかしげた「この面白い動きは何だ?」笑いが出ようとした。

その瞬間私は閃いた、固定金具の構造と形状を。

後にサスアームと呼ばれる固定金具がこの時生まれた。

03年9月末 試作1号機の図面が完成した。

後のマザーラックM型の原形となるものである。

すぐに製造メーカーに製造依頼した。

03年11月製造メーカーから連絡があった。試作1号機が完成したと。

私と大牟田そして関係者はメーカーからのトラック到着を待った。

まだか・・まだか・・

午後3時トラック到着。そして架台はトラックから降された。

私と大牟田は架台の周りを歩きじっくりと見た。そして優しく手で触れた。

あたかも待ち焦がれた女性に対するそれと同じ様に。

さっそく自動車を架台に乗せた「うん、問題ない」。

そしてフォークリフトで昇降(傾斜)させた。自動車はゆっくりと傾いていった。

そしてピンで固定した「うん、問題ない」

私は胸をなで下ろした。そして今までの疲れが一度に来た事を感じた。

日が沈みかけ、タ日を背に自動車と架台の姿がそこにあった。

その前に大牟田がたたずみ、一度頷き「よし!」といった。

この時、大牟田の目に赤く光るものを私は見た。

ここに自動車輸送架台の試作1号機が完成した。そして、マザーラックの第1歩がここに踏み出された。

だがこの時、私は知らなかった。

これから始まる長く陰しい道のりの第1歩でもあったことを…



設計部長 花城〔文〕