しばらく中断していた開発日記を再開します。
前回の続きとなる「マザーラックMS型、中国上海展示会の出品」から話しをスタートします。
マザーラックMS型、中国上海展示会の出品
2008年5月、マザーラックMS型が完成し中国蘇州の物流機械メーカーA社からマザーラックの製造、販売
をやらせてほしいとの要望が届いた。
又、A社から6月に上海で物流機械の展示会があるので是非マザーラックを出品したいとの提案が出た。
完成したマザーラックMS型を出品することが早々に決まった。
展示会まで時間も無く、展示会1週間前に中国蘇州A社に行き、機器の準備とA社社員の車両搬入作業の
指導等を慌ただしく行った。
上海展示会場には、展示会前日にマザーラック、コンテナ等を持ち込み2日間の展示会が始まった。
雨の中、マザーラックに興味を持った多数の人が集まり、なかなかの盛況ぶりで展示会は無事に終わった。
しかし、その後マザーラックの受注とは進まず、A社との話しも立ち切れとなってしまった。
「どうして、マザーラックは売れないのか?」、
「どうして、量産にならないのか?」
「どうして、どうして、どうして・・・」
8月、基本に立ち戻り、客先が「マザーラックに何を求めているか」を知るために 納入実績のある物流会社や自動車会社等の協力をもらいアンケートを実施した。
その結果、「コスト(重量軽減)」、「汎用性アップ」、「返送台数アップ」の3つテーマが上がった。
そのテーマをもとに新型マザーラック 「30型」の開発が始まった。
まずはミニチュアタイプを製造し構造の確認を行い、2009年5月に既存マザーラックを一新した新構造の「30型」試作機が完成した。
性能として
・重量 : 30%ダウン(1600kg → 1200kg)
・汎用性 : 30%アップ (既存のマザーラックM型、S型、MS型を統一した3台、4台兼用積載)
・返送台数 : 100%アップ(16台 → 32台)
であり3つのテーマを見事にクリアした。
7月にマザーラック30型の内覧会をロッコー工場内で実施し、物流会社、商社等の多数の人が来場し,構造や性能を
見てもらった。しかし、その後も良い話とは進まなかった。
マザーラックのこれからの開発目標も見えず、何をして良いのか解らなくなった。
この時からマザーラックの開発は中断された。
中断してから2年後の2011年10月 中国の大手海運会社C社のY氏が突然ロッコーに表れた。
実はY氏と大牟田は4年前に1度中国大連で会っており、マザーラックについて話していた。
その時は特に話の進展はなくそれっきりであった。
ロッコーに表れたY氏は大牟田と二人でしばらくの間話しをした。
その話によると、
「現在C社でコンテナの自動車輸送装置使用している、しかし、あまりうまくいっていない」
そして驚くことに、
「その自動車輸送装置はマザーラックをコピーしたものであり、そのコピーを600セット製造した」
と。
現在、その自動車輸送装置のメーカーは廃業しており、Y氏は後でそのメーカーがマザーラックをコピーして製造したことを知り、以前会った大牟田に是非この事実を話さなければならないと急
いでロッコーに来たとのことであった。
Y氏はさらに言った。
「C社本社がある上海に是非来てほしい、マザーラックのコピーを使用してしまったこと、そして今後のコンテナの自動車輸送装置のこと、会社からの話しを是非聞いてもらいたい。」
11月 大牟田、郭、私の3人は上海のC社本社ピルに行った。C社でY氏も含め十数人の応対を受けた。
C社からコピー品を使用したことに対しての謝罪、そして、今後の自動車輸送装置に対して協力してもらえないか との要望が出された。
それに対して大牟田は言った
「コピーのことは気にしなくて良い、ロッコーは今後C社の自動車輸送装置に対して全面的に協力する、その為にマザーラック30型の開発を進めていく。」
この時から、ロッコーとC社とのマザーラック30型の開発が新たにスタートした。
2012年2月、C社が使用していた自動車輸送装置の現物確認、作業確認をするために中国営口に行った。
確かにマザーラックの特徴ある構造はそっくりだ。また細かなところで色々と変更を加えていた。作業性は
悪く、よく今までこの装置を使っていたなと思った。
この時に作業責任者で私たちに説明をしたのがS氏であった。
前回の30型を「30A型」とし、今回新たに開発する30型は「30B型」と呼ぶこととした。
30A型をもとに慌ただしく設計を進め、同年4月に「30B型」試作1号機が完成した。
それをすぐに中国営口に持込みデモを実施したが、作業責任者S氏から多くのクレームがついた。
そしてS氏からはっきりと言われた
「これでは使い物にならない」
私たちはショックを受けた。
S氏から現場サイドの意見を聞かないと使ってもらえるものにはならないと痛感し、それからS氏から何度も話しをし要望を聞いた。
それらの要望により改良が加えられ、同年7月、試作2号機が完成した。中国営口に持込み、S氏に見て
もらった。「まずまず」との評価。私たちはホットした。
凹凸路面走行、急停止等の走行試験を実施、さらにC社社員の協力で形状の違う車両を7車種集めてもらい、全ての車種の積載確認を実施した。共に問題なく、「30B型」の構造、仕様がほぼ確定した。
10月、C社からアパート(とても、とても広い)を提供してくれた。
部屋にはベット、机等の家具はもちろん、大型テレビ、冷蔵庫、洗濯機等の家電品がすべて用意されていた。
C社の私たちに対する期待と感謝の表れか、その高待遇に感謝しつつ、「マザーラックをより良いものとし、早く完成させないと」と思った。
この日から大連での生活へと切り替わり大連駐在業務がスタートした。
マザーラック完成までの最後の仕上げを急ピッチで進めていった。
同じく10月、さらに改良を加えた試作3号機が完成し、衝突、落下等の破壊試験を実施し、問題はなかった。開発は順調に進んでいった。
最後の詰めとして、さらに細部の改良を加え、同年12月、ついに量産機となる試作4号機が完成した。
残る問題としてコスト低減があったが郭が製造工場の選定、製造工場との交渉を積み重ね、コスト低減の目途がたった。
「いよいよ量産が始まる!」 「とうとう10年間の夢が叶う!」
2013年2月、マザーラックの量産スタートの決定を下すためのC社Z社長との会議が行われた。
会議は午後4時から大連のC社ビル17階会議室で始まった。会議には大牟田、郭の2名が参加し、
私は1階のホールで会議の結果を待った。
会議が始まってから2時間ほど過ぎてから私の携帯が鳴った。
大牟田からだ、「今すぐ17階会議室に来てくれ」声が緊張していた。
「量産が決まったか・・・、それとも何か問題発生・・・」
私は期待と不安をもち、急い会議室に向かい会議室のドアを開けた。
そこにはZ社長とその部下数名がいた、その横に大牟田と郭が顔を紅潮させ座っていた。
大牟田が私に言った
「今.の.マザー.ラックではダメだ。Z社長からコストを今の半額にしないと採用しないと言われた」
「ハア――――――――――――――――― 」
私は茫然とした。
マザーラックのコストは、ぎりぎりまでにダウンさせていた、そのコストに対して半額とは・・・・不可能だ。
3人はC社ビルを出た、外は暗くなっていた、もう夜7時をまわっていた。レストランに入り食事をした。.
食事は進まず、食事中3人はしゃべらなかった。いや、しゃべれなかった、あまりの衝撃で。
レストランを出た。大連は真冬、寒く凍った道を歩きながら帰った。
その途中、大牟田はポツリと言った
「アパートを整理して・・・ もう神戸に帰ろう・・・」
私は思った
「マザーラック これで終わった・・・完全に」
と。
次回 「マザーラック まさかの急展開! 量産の夢叶うか!?」
設計部長 花城〔文〕