開発日記 マザーラック開発物語

米国展示会出展

マザーラックのアメリカ進出!が決まったのは2005年8月。

きっかけは中国のコンテナメーカー技術部長の「自動車用架台ならやっぱり自動車大国アメリカで勝負するべきだよ」の一言でした。

それまで自分達の脳裏に浮かんではいたものの、やはりどこかで怖気づいていたのだと思います。アメリカで失敗したら次は無いのでは、という臆病風が。

「よし!やるだけやってみるか?」と社長の英断が下され、米国アナハイム(ディズニーランドの近く)で開催されたインターモーダルエキスポ(物流展示会)出展への冒険が始まりました。

FedexやDHLも出展する、アメリカでは有名な物流展示会だそうです。

専門業者に委託する資金はありませんでしたから、何から何まで自分達での手配です。

出展申込み、ブース決定、保険加入、備品手配、ノベルティ、カタログ、展示品製造~国際輸送、現地スタッフ等、ほとんどが初めての経験であり(おまけにほとんどが英語・・・Oh my god!)今思い返せば「よー あんな無謀なことやったなー」です。

日本での準備期間は約3ヶ月間(最後の最後までバタバタ)で、いよいよ出発です。

11月皆の期待を背負い、私と開発責任者の大牟田2名が現地へ向かいました。

ロスの高速道路は片道6斜線・・それでも渋滞、いったいどこからこんなに沢山の車が溢れてくるの?

トレーラーは日本の車両とケタ違いの長さ。日本で言う大型トレーラーが2台連結した車両が平気で走っている。この国には安全重視の道路交通法ってあるのかしら?

自動車文化の違いを目の当たりにし、まるでおのぼりさんの私。

開催2日前、準備の下見に訪れた会場はまだ何もない空っぽの大型倉庫のようでした。

そのひんやりした空気に包まれた時に感じた気の引き締まる思いは今も良く覚えています。

「さー、いよいよ勝負の始まりや!」

展示するマザーラック現物の荷受から始まり、積載するレンタカーの調達、ブースのセット(レイアウト、作業員への指示、カーペット選び、電気配線の指示、プラズマTV、クレーム処理・・・)次から次へと色んな事が押し寄せてきます。

「展示する車のガソリンタンクは空にする事!消防法に引っかかる!」でもレンタカーはどれも満タン状態。

修理工場に駆け込んで交渉するも、たかが燃料出しに150ドル「あほな!」

あきらめて、自分達の移動用のレンタカーを展示する事に!

でも燃料がまだ殆んど残っていたので、燃料消費と自分達のリフレッシュを兼ねてサンディエゴまで片道約200㎞のドライブ。

明るい太陽の下で食べたランチのパスタとスープは絶品でした。

(但し1人前を2人で分けておなか一杯、恐るべしアメリカンサイズ)

展示会本番では、DVDで作業動画を放映し、サンフランシスコから販売代理店の営業マンが応援に来てくれたので、大牟田は技術説明、私はひたすら来場者へノベルティの扇子配り(好評でしたよ)。

飾ってあった招き猫の置物はいつの間にか無くなっていて・・・(親切な人に貰われています様に)

作業動画のDVD放映は大変反響が良く、通りすがりに大勢の人が立ち止まって見てくれます。「オー、賢いなー」「日本人らしい」「良く考えたねー」

皆誉めてくれますが、誰も注文してくれません。

現地では理解できなかったのですが、帰国後落着いて考えてみると、製品として評価が高くても、必要とされていないのです。

日本とは比べ物にならない程の自動車大国アメリカでは、物流システムが構築済みで成熟しきっている為、わざわざ設備投資をして新しい道具、システムを導入する必要が無いのです。

2人共、やりきった達成感より、何だか良く分からない重さを肩に背負って関空へ帰って来た気がします。

展示会は成功・無事終わりました、でもマザーラックは惨敗・・・

使ったお金も半端じゃない!

しばらくモンモンと過ごした後、懲りない私達が考えた事とは、

「だったら、途上国なら需要があるのでは?」

「ベトナムでの採用はその前兆では?」

開き直って新たな活路 中国・東南アジアへと、長い旅路の始まりとは知らず・・・

統括部長 木下[文]